今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

 台湾北上旅行3泊4日 二日目 八田興一と烏山頭ダムへん

 

北方式食あたり解決法のおかげで、さわやかに二日目の朝を迎えることができました。
朝ご飯に昨夜買っておいた莉莉水果店のマンゴーとフルーツをシャクシャク食べる。


f:id:ZenCarpeDiem:20180915225818j:image

まだお腹が本調子ではないので、半分ほど残して冷蔵庫へ。
これは帰ってきてから食べよーっと。


さて、二日目のテーマは八田與一(はったよいち)である。
…はたして日本人のうちどれぐらいの人々が八田氏の名を知っているだろうか。


かくいう私も、地球の歩き方の巻末コラムを読むまでは全く知らなかった。
ちなみに、台湾では八田氏のことを学校で習うので一般常識の範疇である。


簡単に説明すると、八田與一氏は台湾にダムを造った人である。
烏山頭(ウーシャントウ)ダムという巨大なダムを造って水路を引き、かつて「不毛の地」と呼ばれた嘉南平野を金色の稲穂がそよぐ豊かな土地へと変身させた。
氏は台湾の人々から恩人のように慕われ、今も湛えられている。

 


だが、日本でその名を聞くことはほとんどない。
なぜなら、八田氏が台湾で活躍したのは日本統治時代という、日本が侵略者であった時代だからだ。
憲法に平和賞がどうのとか叫んでいる日本にとって、後ろ暗い時代だからだ。

 


普段、政治と教育の関わりを意識することはない。
法律によって、教育と政治の間には厳しい線引きがされているからだ。
だが、私たちが学校で学んでいる歴史には編集が入っている。


ふとこういう時に思い出す。
私たちに与えられる情報には必ず何らかの意図が入っていること。
純粋な情報などないことを。

 


話がマジメ寄りになってしまった。
歴史の上で、完璧な正しさも悪もない。
でも、七十余年を経ても台湾の人々が八田氏を大切に思ってくれている。
そんな人物を先人にもてたことを、日本人として誇りに思ってもいいと思う。

 

 


では、本日の予定。
①台鉄台南駅 → 隆田
②隆田駅でタクシーをチャーター → 烏山頭ダム

 


ホテルから台南駅まではタクシーで向かう。100元くらい。
最近は台鉄でも悠々カードが使えるので、本当に便利になりましたね。
券売機で「何号?何時発?いくら??」ってあたふたしなくていいし。


隆田駅までは一時間ほど。のどかな風景を見ながらのーんびり揺られる。
隆田駅の目の前にはタクシーが数台止まっているので、そこでチャーター。
「烏山頭水庫」っていうと乗せてくれます。
お代は後払いです。


最初、値段のことは何も言わずにすぐ乗せてくれたので、念のため確認したら800元でした。(ネットで調べたとおり)
公式サイトは特に見ていないけれど、協定料金みたいなのがあるのかな?


烏山頭ダムまでは20分くらい。
果てしなく広がる田園風景を眺めながらタクシーで進んでいく。
ダムの入り口ゲートで入場料200元/一人を支払います。
※このときもらうレシートは、すぐ出せる場所にしまっておこう!住居見学の時に見せます。
ダムの周囲はキャンプ場になっており、家族連れで賑わっていた。


ダムに到着。タクシーを降りて、運転手のおっちゃんに付いてダムの周囲を歩く。
烏山頭ダム雄大な姿に一瞬言葉を失う。


f:id:ZenCarpeDiem:20180915225941j:image



f:id:ZenCarpeDiem:20180915230010j:image

日本のダムが大きな水たまりだとすると、烏山頭ダムは緑の生い茂る熱帯雨林だろう。
碧い豊かな水面に緑の木々が集まって、小さな林を作っている。
その林が重なって、大きな森となる。
大小の森が折り重なり、湖面の碧と木々の緑がどこまでも広がっている。
目の前の大きな景色に胸を打たれ、さらにそれがダムのほんの一部でしかないことを知り、驚嘆した。


雄大かつ壮大な眺めを堪能したら、右手の放水路へと歩いて行く。


f:id:ZenCarpeDiem:20180915230108j:image


f:id:ZenCarpeDiem:20180915230203j:image


ここは水深が57メートルを超えると自動的に放水される仕組みだそうだ。
これもまたスケールがでかい…!

 


…このカメラスポットはガイドさんが先導して連れて行ってくれたのだけれど、途中にでっかい水たまりがあり、両足(サンダル)泥まみれ(とれかけ)になってしまった。
でも、タクシーのおっちゃんがウェットティッシュくれたから大丈夫!


フォトスポットのあとはタクシーに乗ってダムの外周を走り、資料館へ。
ちょうどインターナショナルスクールの学生っぽい子たちが来てた。
資料は日本語も併記してあり、けっこう面白い。


資料館の外には旧放水口がある。


f:id:ZenCarpeDiem:20180915230245j:image

f:id:ZenCarpeDiem:20180915230312j:image

「KANO撮影地」であり、八田氏の奥さんが身投げした場所でもある。

 


資料館の後は八田氏の銅像がある場所へ。これもタクシーで向かう。


f:id:ZenCarpeDiem:20180915230400j:image

途切れることのない献花は、台湾の方々が八田氏を大切に思っていてくれている何よりの証拠だろう。
静かに手を合わせ、ダムを後にした。

 


ダムの敷地を出て、ダム建設の作業員たちが暮らしていた旧居住区へ向かう。
日替わりで作業員が実際に暮らしていた家屋が見られる。

この日は入り口から最も近い田中さんの家が開放されていた。


f:id:ZenCarpeDiem:20180915230447j:image

趣のある平屋の日本家屋だった。
中には入れなかったけど、八田氏の自宅もあるよ。


f:id:ZenCarpeDiem:20180915230508j:image

\デデーン! 野生のモンスターがあらわれた!/


ほかにもお土産屋さんや、資料館(日本語併記)があります。

 


八田氏が台湾の人に慕われているのは、大地を潤すダムを造ったという功績だけではない。
他にも、


 1.日本人と台湾人を差別せず、平等に扱った。
 2.社員を立派な家に住まわせ、テニスコートや映画館など、福利厚生を充実させた。


ということがある。


…やはり、「働いている自分が報われる」というのは大切だ。当時、ダム建設はかなりの重労働で、落盤事故などによる犠牲者も多かった。
それを10年でやり遂げることができたのは、八田氏はもちろん、彼の計画を実現させようと努力した多くの人々(台湾人も日本人も)のおかげでもあるのだ。

 


最後にタクシーは放水口へと寄った。


f:id:ZenCarpeDiem:20180915230606j:image

どこまでも続いていく水路と、果てしなく続く豊かな稲穂。
地平線の果てまで続く田んぼを見ながら、タクシーで隆田駅へと戻って行きました。


KANOへんへつづく。