今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

旅をした。ー『旅のラゴス』を読んでー

 旅をした。
徳川家康』(山岡荘八氏)と人生七十余年の旅に同行した時もなかなか大変な旅程だったが、今回の旅はさらに過酷だった。

「本を読むことは、頭の中で旅をすることだ」

上記は星占いで有名な石井ゆかりさんの言葉(うろおぼえなので細部が違うかも)である。
本を読むことが旅に出ることならば、私は幾度となく旅をしてきた 。
麒麟と王様が国を作るというファンタジーの世界にも行ってきたし、男と男の信念がぶつかり合う三国鼎立の時代を荒くれ者と駆け抜けたし(北方謙三氏のやつ)、自分らしく生きることを決意した乃里子とつぶした苺にミルクをかけるというお行儀の悪い幸せに相伴したこともあった。

それにしても今回の旅は骨が折れた。


もともと、今回の旅はちょっとした気分転換のつもりだった。
大学時代に『パプリカ』を読もうとして挫折した私が『世界の中心で愛を叫んだけもの』というSFの大家に道場破りを仕掛けた結果 、三分の一まではなんとかたどり着けたものの、返り討ちにあってしまった。
ほうほうの体で逃げ帰った現在は「特殊設定とか近未来の車はしばらくえーわ……」ということで、現代小説ばかり読んでいた。
まあそれにもちょっと飽きたので、今回の本(250P程度)ならいけるんじゃない?ってことで選んだのだ。


あらすじはこうだ。
主人公:ラゴスが人生をかけた旅の中で、奴隷になったり王様になったりしながらも、日々旅にして旅をすみかとする物語。


不思議なのは、主人公:ラゴスの性格だ。
どんな目にあっても飄々としていて、困り果てたり絶望したりすることがないのだ。
普通、奴隷にされてきっつい強制労働とかさせられたら自分の運命を呪ったり絶望したりすると思うのだが、ラゴスはそうではない。


彼の考えは常に一対多。自分と世界なのだ。
実を言うと、私の性格もラゴスに近い部分がある。
だから、ラゴスの言い分や選択、冷血とも言えるの彼の合理的な判断には強く共感する。
故に、他者と特別な関係を作ることが難しいのだ。


彼の世界は常に自分とその周囲にある外界であり、自分の妻(っぽい存在も含めて)との間にさえ、見えない壁がある。
彼の内側に他者はいない。誰かが彼の隣に立ったり、手をつないだりすることはない。


彼は世界の中心に立ち、その周りをぐるりと友人や家族や妻という肩書きをもつ人々が取り巻いている。


ラゴスを見ていて、不審に思う瞬間は多々ある。
たとえば、自分に好意を持っていてくれる兄嫁にたいして、彼は優越感を抱かない。
自分を愛する少女が二人もいるのに、彼女たちを競わせてより淫らな行いをしようと企むこともない。

常に一歩引いた目線で全体の利益のために行動する。
まるで救世主のようだ。


だが忘れてはならない。彼の行為はすべて自分の利益のためにあるのだ。
節度を守った応対も、二人の少女に公平に愛をささやくのも、自分のせいで有益な環境が崩れるのを防ぐためだ。
素敵な観光地を楽しむために、トラブルに巻き込まれないよう細心の注意を払っているだけなのだ。


……もしかしたら、旅人の考え方はみなラゴスと一緒なのかもしれない。
一つの所に定住するよりも、新天地を求めてさすらう方がかっこいい。
ムラの掟や人間関係に煩わされることもない。
旅人と町に住む人々。つまり、自分がその場所にとってのお客さんであるならば、毎日「いい天気ですね」というだけでいい。
町内会のトラブルに巻き込まれることもない。
濃密な人間関係を作り上げる必要もない。


なんて、楽なのだろう。
そして私も楽なほうを選びがちなのだろう。


そんなラゴスが選ぶ女性はただ一人。
記憶の中で美化された、老いぬ幻想だ。

現実の世界で濃密な人間関係を作れない人が行き着く先は、やはり幻想の世界しかないのか。未知の動物とテレポーテーションがデフォルトで備わっているSF世界の中で、 警告のような氷の棘が私を刺した。

今回の旅が想像以上に疲れたのは、自分の未来を突きつけられたからかもしれない。
 
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