今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

「生存の階段を降りる」ということ

 
『舞台 文豪ストレイドッグス 黒の時代』

千秋楽のライブビューイングを見てきました。
東京でも一度観劇しているのですが、例のシーンはやはり泣いてしまいましたね…。

 

演劇ってすごい。
心に残ったことを一つ記そうと思います。

内容のネタバレになると思うので、DVD待ちという方はブラウザバックをお願いします。

 

 

ー「生存の階段を降りる」ということー

 

小説もアニメも見たけれど、私はこのことを芯から理解してはいなかった。
舞台の演出のおかげで、やっと理解できた。

 


織田作の夢には段階がある。
まず、5人の子供たちをまっとうな社会へ送り出すこと。
そして、海の見える部屋で机に座り、小説を書くことだ。

 

小説を書くことは人間を書くことだから、そのために殺しもやめた 。
つまり、織田作の夢はすべて一本の線でつながっているのだ。

 


そして例のシーン。
織田作が子供たちからあの品々を受け取る場面だ。
言葉で説明されるよりも、グロテスクな挿絵を見せられるよりも、あのシーンは心にがつんときた。

 

 

子供たち一人一人に笑顔で向き合い、それらを受け取る。
決して、子供たちから受け取ってはいけないものだ。

 

 

だって、織田作は子供たちがそうならないように今までがんばってきたんじゃん。
一番上の子がマフィアになりたがっているのを、「頭痛のタネ」だってぼやいてたじゃん。

 


子供たちから差し出されるそれらを笑顔で受け取る織田作を見て、涙がこぼれた。
もうあの子たちはいないんだということが、はっきりと分かった。
そして、織田作が夢を諦めたことがわかった。

 

 

演出ってすごい。
最新のCGもなく、ただ人から何かをもらうという場面だけで、こんなにも確かに伝えることができるのだ。


ほかにも、ジイドと森さんの共通点とか、安吾の視線とか、語りたいことは山ほどある。
それらはまた、次の機会に譲りたい。

 

 


千秋楽の舞台挨拶で谷口さんがこんなことを言っていた。

 

「この公演をもって、私たちはばらばらになる。」

 

記憶なので細部が違うかもしれない。
もう『舞台 文豪ストレイドッグス 黒の時代』という空間は永遠に失われてしまった。

 

 

私たちが見られるのは舞台上の二時間だけだ。
でも、演者たちは違う。
稽古時間や休み時間、その後の飲み会の時間も含めて、濃い時間を 過ごしてきた。
私が生で観劇したのはたった一回だけど、今回のライビュを見て、彼らがどんな時間を過ごしてきたのか伝わってきた。

 

愛情をもってあなたたちが接していたこと、客席からも伝わってきたよ。
名残惜しそうにしていたの、分かるよ。

 

観客として、『舞台 文豪ストレイドッグス 黒の時代』という空間に参加できたことを幸せに思う。

 


最後に。
汗だくになりながら織田作を演じてくれた谷口賢志さんに心からの賛辞を。

そして、織田作の最後の言葉を贈りたいと思う。

 

「こちらこそ、ーーーーー。」 


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