今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

趣味について。

高木ゑみさんのvoicyで、「手芸が大好きで、他のことそっちのけでついやり続けてしまう」という話を聞いた。

https://voicy.jp/channel/760/37493
誰の為でもなく、自分が大好きな手仕事を自分のために黙々とやり続ける。
何の意味があるのか、とか、お金にならない、とか、そういうのとは関係ない。
別の次元にある楽しさだ。
それをこつこつと追いかけること。
それはまさに一つの修行であり、探求の道である。
ひたすらに座禅を組み真理へとたどり着く僧侶のような、ストイックなイメージさえある。

 


…いつから私たちは、自分の趣味や今やっていることを開示せねばならないと思うようになったのだろう。
生産性や効率、他人の評価なんて、子供の頃の創作や遊びには微塵も関係なかったはずなのに。

 

 


ミニマリストという言葉がある。
私は、それは「主体性を取り戻す」という意味だと思う。
世間の興味関心、過剰に購買意欲をあおる広告などから離れ、本当に自分が良いと思うものを吟味し、選び取ることだと考えている。


だが、一部のミニマリストの動画やインタビューを見ていると、「ミニマリストはかくあらねばならぬ」という概念にがんじがらめになっている人が多くいる。
そこにもやっとする。
自分の暮らしに主体性を持って向き合うのがミニマリストとだと思うのに、それでは本末転倒だ。


だが、「誰かの真似をしたい」という衝動は人間の本能でもある。
私たちの脳にはミラーニューロンというものがあり、他者の行動を見ているだけで影響されるのだ。
だから、仕方がないといえばそうなのだが、昨今の情報技術の発展は、私たちに大量のモデルを送り出した。
つまり、私たちは気付かぬうちにただ大量のモデルを反復するだけのオウムに成り下がってしまうのだ。


世間は素敵なもの、美しいもの、面白いもので溢れている。
それを消費するだけの聴衆という役割で手一杯になっている。

 

 


私は、自分だけの楽しみを探したいと思う。誰かに開示することも許可を求めることもなく、自分一人でいくらでも楽しめる。
そんな最強の趣味を、私はきっともっている。
それを大切にしたい。