今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

同棲、解消しました。 その3「失ったもの」

たった一時間の積み重ねが私の精神を破壊し、身体にまで影響が出ました。
体調をくずして一ヶ月後、やっと新しい先生が来て下さり、私は以前と同じ日常に戻ることができました。


しかし、変わってしまったものが元にもどることはありませんでした。

 

 


一時間増えた残業にぼろぼろにされながら過ごしていた頃、私と相方の考え方の相違が目につき始めました。

 


私と相方の相違点
①部屋のきれいレベル


毎日掃除機をかける人を仮にきれいレベル80とします。
私のきれいレベルは30です。掃除機は1,2週間に一回かければいいほうです。
一方、相方のきれいレベルは5です。掃除機は1年に一回かけるかかけないかです。


きれいレベル30の人と5の人が一つの家を共有するとどうなるでしょう。
必然的に、きれいレベル30の人に負担が集中します。
きれいレベル30の人に余裕があるうちは大丈夫ですが、きれいレベル30の人が掃除できなくなった場合、最低でも一年は掃除されません。

 


つまり、きれいレベル30の人が体調を崩して掃除できなくなった場合、「私が掃除しなければこの家は綺麗にならない」ということを痛いほど実感しながら療養するしかないのです。

 


私と相方の相違点
②私がしてほしいことと相手ができること


一緒に住んでいるパートナーが多忙になって、毎日ぼろぼろの状態で帰ってくるようになったら、あなたはどんな手助けをしますか?

 


私だったら、ご飯を作ってお風呂を入れて、後片付けは全部私がやって、相手に負担がないようにします。
そして、悩みを聞いたり、話して楽になるようならできる限り話を聞きたいと思います。

 


つまり、私は相方にそういうことをしてほしかった。
コンビニのパスタを買ってくるんじゃなくて、簡単な物でいいからご飯を作って欲しかった。流しに洗い物がたまっていたら、洗っておいてほしかった。
お風呂を入れて、洗濯をして、ゴミをまとめてほしかった。

 


私の負担や苦労を想像して、それをケアして欲しかった。

 

 


しかし、それができない人もいる。
直接言葉で頼んだこともありますが、相方がやってくれたのは風呂掃除だけでした。

 


料理は洗い物が嫌だからやらない。
洗い物は昔「洗い残しがある」と怒られたからやらない。
洗濯はネットに入れるのが面倒だからやらない。
ゴミは気づいたら捨ててる(といっても相方がゴミ捨てをするのは二週間に一回くらいでしたが)。

 


最初にしっかりとした家事分担をせず、「自分がやった方が早いから」といって自分に家事負担が集中するのを見て見ぬ振りをしてきたツケがきたのだろうか。
これは私のせいなのだろうか。

 


後悔先に立たず。
私は心が疲れて家事ができない。相方は家事をする気がない。
ほこりの降り積む薄汚れた部屋は、私だけでなく相方の心もむしばんでいったようです。

 

 

 


私が多忙になってしばらくして、相方の飲酒量が明らかに増えました。
それまでは月に一度の会社の飲み会くらいでしかお酒を飲まなかったのですが、毎日お酒を飲むようになりました。

 


まず、会社帰りに行きつけのお店で2,3杯飲み、家でさらに缶ビールを数本開けます。
酔いつぶれて終電を逃すことも増え、大学デビューで羽目を外した学生みたいに吐いてうずくまっている相方を車で迎えに行くこともしょっちゅうでした。
どう見ても適正飲酒量をオーバーしていました。

 


休日も朝からお酒を飲み、車で外出していても「お酒飲んでいい?」と私に聞いてきます。
近場の外出ならともかく、大阪や東京に遠出したときも聞いてくるので心底うんざりしました。
……東京から家まで400キロあるんだけど、全部私に運転させる気なの?

 

 


そのうち私の体調も回復して、毎日ちゃんとご飯を作れるようになりました。
しかし、相方は夜中まで飲んで遊んでいるので、私のご飯を食べません。
次第に自分の分だけしかご飯を作らなくなりました。
……一緒に住む意味、あるのかな?

 

 


家で二人ですごそうとしても、相方は必ずお酒を飲む。
もう私は多忙ではないし、夜8時には家に帰っているのに。
行動も気持ちもすれ違う二人が同じ方向を見るために必要な物。
それは非日常です。

 


ほこりのたまった部屋から目をそむけ、毎週末は外へ出かけるようになりました。
ちょうどその年の12月は行きたい展覧会がたくさんあったので、毎週東京へと遠征しました。
旅行中も相方は毎日お酒を飲みました。
でも、旅行中は私も気持ちがハイになるので、相方の多少の粗相など水に流せます。
明日の計画を練ることで、楽しい未来を思い描くことで、目の前の問題から逃げることができたのです。

 

 


片道400キロの道のりは長いですが、私にとっては癒やしの時間でした。
泥酔して眠りこけている相方を尻目に、好きな音楽をかけて運転に没頭できる。
好きなものに浸って一人で集中できる環境。
私の鬱を癒やすには絶好の場所でした。

 

 

 


新年があけるころには「部屋を掃除しよう」と思えるくらい回復していました。
毎週旅行に行くことと平行して、たくさん漫画を読んだことも影響しているかもしれません。ちょうど12月はボーナスが出たので、いいなと思った物は片っ端から買っていました。

 


掃除や片付けに悩んだこともあり、それに関するコミックエッセイをたくさん読みました。


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「ダメな自分を認めたら部屋がキレイになりました」(わたなべぽんメディアファクトリー


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「『ちゃんとしなきゃ!』をやめたら二度と散らからない部屋になりました」(なぎまゆ・メディアファクトリー


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「家族が片付けられない」(井上能理子・イーストプレス


特に井上能理子さんの「家族が片づけられない」という本に共感しました。
「どうしてあなたは掃除してくれないの!」という思いに対する一つの解を教えてもらった気がします。

 


お掃除ジャンルではないですが、「精神科ナースになったわけ」(水谷緑・イーストプレス)もおすすめです。


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人の行動にどんな意味があるのか。
自殺は本当に悪だといえるのか。


鬱とは違う側面から「人間の心」をのぞき見ることができます。
個人的にリストカットの話が興味深かったです。

 


高校生の頃に「ライフ」すえのぶけいこ講談社)を読んだり、何かのドキュメンタリーを見たりして、「リストカット=自殺」でなはいんだということを知りました。
死ぬためではなく、手首を切ることで「痛みを感じる肉体の存在」を感じている。
リストカットは生きるための行為だ。

 

 


「ぼくは勉強ができない」(山田詠美新潮文庫)のなかで、小学校の校長先生が主人公に
「生きている人間の血はあたたかく、死んでいる人間の血は冷たい」ということを教えるシーンがあります。


その後、私はそれを知る機会に恵まれました。
病院で点滴をしてもらう際、針を刺す場所が悪かったのか、血がぶしゅーとあふれて床に血だまりを作りました。


さわがしくなる周囲の音を聞きながら、腕をつたう血の熱に驚きました。
あったかいではなく、熱い。
高熱で病院に行ったので意識はもうろうとしていたのだけど、「これが生き物の熱さか……」と感動しました。

 


……そうか、腕を切る人はこの熱さを感じたいんだ。
だってこの熱はすごいもの。
自分の内側にあるこの熱さに触れれば、すごく元気づけられるから。

 

 


残業が一時間増えたせいでうつ状態になり、部屋の掃除ができなくなりました。
相方はお酒を飲むことで、その状況から逃れようとしました。
私は旅行に行きまくり、楽しい状況を無理矢理作り出しました。
そのときの束の間の孤独が、結果として私を癒やしました。

 


常勤講師の冬のボーナス50万円。
私の鬱病の治療費としてすべて消えました。