今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

読書について。 その2「読書と許し」

 

本を読まない両親の元で育ち、
小学校時代は「りぼん」と児童文学をよみ、
中学1,2年の時は学校が押しつける「読書神話」に辟易し、
てこでも本はよまねーぞと反発した。


しかし、中学3年生になり、本を読む友人に取り囲まれ、
「私も本を読まないとハブられるのでは!?」
という不安から、つべこべ言ってられないと腹をくくり、
生まれて初めて「自分から読みたい本」を探した。


その一冊をきっかけに、読書への一歩を踏み出した。
そして、読書と本を読む友人を通して、
 「自分が本を読みたい時間」と「ほかの人が本を読みたい時間」、
それぞれを大切にすることを学んだ。

 


高校時代~大学二年くらいまで 広がる世界


高校生になり、私は物語以外の本と出会います。
一つ目のきっかけとなったのが
 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学』です。
ここで新書の面白さを知りました。

 


二つ目のきっかけが教科書に載っていた齋藤孝さんの評論です。


「言葉は隙間だらけで、その隙間を各自が想像し、補いながら読んでいる。
 だから、言葉が100%伝わるなんてありえないんだよ」

 


哲学的な内容と私の脳の発達具合がベストマッチし、抽象的な内容にも興味を持つようになりました。
人の考え方に触れるのって面白い!


そこからは小説・詩・エッセイ・新書・学術書など、あらゆるジャンルの本を読むようになりました。

 


大学3年~ ちょっとかっこつけたいお年頃


大学では文学部に進学したこともあり、周りの友人は全員本好きという環境になりました。
しかし、周りの子たちの多くは小説ばかり読んでいて、新書などの物語以外の本を読む子は少数派のようでした。


その頃の私の読書は、物語:新書=3:7といった感じで、知識の習得に傾いていました。
物語は好きだけど、新書のほうが知らない知識がいっぱい書いてあって、読んでてお得な感じがしたのです。

 


大学三年生でのゼミは国語教育論をとりました。
本当は哲学がやりたかったのだけれど、ちょうど前年度で哲学専攻の教授が引退されてしまったことと、意気揚々とカントの『純粋理性批判』を読み始めたら、1/4も行かずにギブアップしてしまったことが重なり、「無難に行こう」という方針に転向しました。

 


いやほんと、哲学書は無理したらあかん。
入門書で脳内装備を強化してからいかないとこてんぱんにやられるよ……!

 


大学は3,4年生になると自由時間が増えますよね。
そのころ唐突に「世界の古典を読もうキャンペーン」が私の中で始まりました。
それまで翻訳作品を読んだことがなかったので、いっちょ読んでみよう! と思ったのです。
(……ほんとは某国擬人化漫画にドはまりしたからです)

 


有名どころと言えばゲーテでしょ、ってことで「若きウェルテルの悩み」をはじめ、「神曲」、「狭き門」などを読んでいきました。
世界の名作ってことで、どれだけ面白いのかな? と期待していたら、私の期待する面白いとは違いました。
へーほーふーん、って感じで、とりあえず読み切ってみる。
ウェルテルは苦しんだんだなあ、『狭き門』は「厳しい状況を選んで努力しろ」ってことかなあ、など、自分なりに感想を見つけていきました。
(『神曲』は何が言いたいのかさっぱりわかりませんでした)

 

 


ばきばきに壊れた世界で、ただ一つ残ったもの

 


そんな折、私はカフカの『変身』を手に取りました。
この本が私に与えたショックは、ちょっと言葉にできません。

 


世の中の多くの物語では、理不尽な世界でも人々が懸命に努力し、そして多くの主人公たちの努力は報われます。
しかし、この作品は違います。

 


主人公の今までの努力はまるで意味の無いことのように扱われ、今まで主人公の善行に救われてきた人たちは、まるで主人公の助けなどはなから必要なかったかのように、好き勝手に生きていきます。

 


自分のやってきたことは全て無駄だった。
必要なかった。
自分がいなくても世界は正しく回っていく。
というか、自分なんていらなかった。

 


この本を読み終わったとき、全身から力が抜けました。
これが世界の真理だといわんばかりのラストに、私は反感も反論もなく、ただただ脱力しました。

 


私はパンドラの箱を開けてしまった。
今まで、本は人を楽しませたり勇気づけたり、知恵を授けたりしてくれるものでした。
まさかこんな形で、この世の真実を突きつけてくるとは。
努力はただのお節介で、自己満足で、無意味で。
おまえは「人のため」だとか言って、いらぬものを売りつけていただけだって?

 

 


私の世界に放たれたこの世界の真実たち。
目の前に突きつけられたそれらに足がすくんで動けなくなる中、私の箱の底にも一つの希望が残っていました。


それは「こんな話を書いてもいいんだ」という許しです。

 

 


美しいもの、友情あふれるもの、面白くてためになって、人々を夢中にさせるもの。
悲しいシーンはあっても、それは人々を立ち上がらせる力となる。
そんなポジティブな世界だけではなく、どうしようもなくて八方ふさがりで取り返しのつかない、ネガティブな世界を書いてもいいんだ。
許されるんだ。

 


『変身』で雷に打たれたようなショックを受けてから、ストーリーを追うだけだった私の読書に変化が訪れました。