4年越しの『君の名は。』
映画館に行けるようになったので、世間でめちゃくちゃヒットしていた『君の名は。』を遅ればせながら視聴してきました。
この映画がヒットしていた当時、新海誠監督のことは存じていました。
『雲の向こう、約束の場所』や『ほしのこえ』、『ef-the latter tale.』を見て、夕焼けや光の映像がきれいだなと思っていました。
『雲の向こう、約束の場所』はストーリーも好きだけれど、私が直前に視聴していた『星を負う子ども』が個人的になじめず、世間の波に乗る気がおきなかったのです。
また、私はあまのじゃくなので、「感動作」「泣ける」とか見出しにつけられると途端に見る気をなくします。
時は過ぎて2019年。
その年の前半に6回も見た『劇場版 幼女戦記』や『プロメア』(こっちは10回)、そのスタート前に毎回流れる『天気の子』の予告に、だんだん興味をそそられていきました。
あの予告はずるい。
なにより「グランドエスケープ」のこれから物語がはじまるぞ! っていうわくわく感がやばい。
こっちまで走りたくなってくる。
そんなわけで、公開初日の第一放映にIMAXレーザーで見ました。
私も4年経って、いろんな「おもしろい」の形を理解できるようになっていたのでしょう。
新海監督が描きたいものはエンターテインメントではなく、「世界」なのではないかと思います。
(もちろん、映画は広義の意味でエンタメですが)
「一生に一度でいから、誰かのために一生懸命になりたい」
「体も心も燃え尽きてしまうくらい、何かに夢中になりたい」
「全てを失ってもいいと思えるほどの大切な人に出会いたい」
そんな世界を描きたいのではないか。
今の私はそんなふうに思います。
では、『君の名は。』です。
この作品もエンタメ視点で見ると、きっと粗がいっぱい出てきてしまうでしょう。
私は、この映画が大ヒットしたのは
「見ている人の世界に輪郭を与えたから」
なのではないかと思います。
私たちの世界はあやふやなもので満ちています。
この映画にちりばめられたさまざまな気持ちを言葉(かたち)にするのは難しい。
クラスメイトたちのささやかな悪意、未知のものへ期待をふくらませる友人、瀧くんを影ながら応援する三葉。
ああういうことってあるよね、そういう人っているよね。
私たちは言語化できないものに対して、さらにふわふわとした言葉でくるむことで、なんとかそれらの存在に対処します。
わからないものをわざとわかりにくい言葉で包んで、わかった振りをする。
言葉はデジタルであり、その本質は切り捨てと集約にあります。
私たちは言葉にすることで曖昧な世界に線を引き、カテゴリー別にどんどこ切り分けていきます。
そして、コンピューターがアルファベットで書かれたプログラムをコンパイルして実行するように、人間は言葉で書かれたものを脳内で翻訳し、補足し、作者の想いに近づいていきます。
言葉としてまとめられる前に作者が考えていたものはなんだったのか、想像していくわけです。
この映画のなかに出てくる、さまざまな気持ち。
最終的に瀧くんが三文字にまとめてくれましたが、それでもまだあふれています。
この映画を見た人は、そんな言葉にできない気持ちや、何気ない日常や、世界の美しさに対して、ぱちんと輪郭がはまるような感じがしたのではないでしょうか。
多くの人がこの作品を見て「これだ」と確信を得たのではないでしょうか。
それが1000万人以上の人を惹きつけた理由なのではないかと、私は思います。
今のところ、109系列とか一部の劇場だけみたいですが、リバイバルをやっている地域の方はぜひ。