今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

台湾茶とわたし

 

ある看護師が、ひとりの、いくらか緊張病がかった破瓜型分裂病患者の世話をしていた。彼らが顔を合わせてしばらくしてから、看護婦は患者に一杯のお茶を与えた。この慢性の精神病患者は、お茶を飲みながら、こういった。〈だれかがわたしに一杯のお茶をくださったなんて、これが生まれてはじめてです〉。


R・D・レイン『自己と他者』志貴春彦・笠原嘉訳
 鷲田清一『「聴く」ことの力 臨床哲学試論』より孫引用ー

 


台湾茶好きの方は(いい意味で)クレイジーな人が多い。
コーヒーや紅茶の界隈でも、ここまでの熱意をもち、その炎を絶やすことなく燃やし続けている人たちはいないのではないか? と思う。
なぜ、台湾茶は人を狂わせるのか?
人々を発狂させる台湾茶の魅力を、僭越ながら述べたいと思います。

 


※このページに出てくる「台湾茶」とは、主に「台湾の山地で収穫された茶葉で作られた半発酵茶(ウーロン茶)」を指します。
阿里山とか梨山とか金せん茶とか、産地も種類もざっくりと含みます。

 


テーマ:なぜ、台湾茶は人を(いい意味で)狂わせるのか?


Q1 台湾茶はうまいのか?
Q2 台湾茶が好きなのか? 台湾が好きなのか?
Q3 台湾茶の魅力とは?


以上、三つのクエスチョンを中心に、台湾茶の魅力を語っていきます。

 

 


Q1 台湾茶はうまいのか?


A うまい。だが、私の第一印象は「なんだこれ?」でした。


ほのかに甘みはあるが、糖類の甘さではない。
飲んだ後にさっと吹き抜ける爽やかな香り。
舌に残るかすかな渋みは心地よく、温かさが身体全体にしみていく。
心と身体を潤す滋味。
当時、その体験を形容する言葉を私は持ちませんでした。


人類がはじめてモネやピカソの絵を見て「なんじゃこりゃ!」と思ったのと同じく、初めてのものや、自分のバックグラウンドからかけ離れたものは脳みそがなかなか受け入れられないのです。
つまり、台湾茶のおいしさを理解するには慣れが必要でした。

 


はじめて台湾茶を飲んだとき、
「たぶん美味しいんだろうけど、これはお茶なのか?
 烏龍茶なのに緑色だし、 
 私が知っているどのお茶とも違う……!」
という感じで、非常に困惑しました。
当時、私が普段飲むお茶と言えばペットボトル(150円)のものくらい。
なので、目の前の茶葉が300グラムで1000元(当時のレートで約3500円)もするのもびっくりでした。


え? これ買うの? お茶っ葉に3000円以上出すの?? 正気???


あの時、ええいままよ! と勇気を出し、私も茶道楽の門を叩いたのでした。

 


Q2 台湾茶が好きなのか? 台湾が好きなのか?


鶏が先か卵が先か。
A 私は「両方好き」です。


台湾そのものの魅力は多くの人が語るところですが、私の好きポイントは3つ。


1 フルーツ食べ放題!
2 屋台メシがうまい!
3 人と人との距離がちょうどいい


1 フルーツ食べ放題!


温暖な気候に恵まれ、夜市はもちろん、街中のいたる所でカットフルーツが売られています。お値段も手頃なので、私は下手したら一日中食べているくらいです。
日本でも毎日食べたいのだけれど、お財布と相談しつつせいぜい週2回くらいしか食べられないので、台湾に行ったらここぞとばかりに食べます。


ケーキが職人の技術の結晶なら、フルーツは自然の栄養の凝結体といったところでしょうか。スイーツと違って、いっぱい食べても大丈夫!
美味いし健康にもいい!


2 屋台メシがうまい!


日本円で数十円から数百円くらいの値段なのに、屋台のご飯がめちゃくちゃおいしいのです!
これも日本との比較になっちゃうけれど、日本でおいしいものを食べようとすると、1000円以上、下手したら2000円は超えるんですよね。
それ以下の値段だと大手のチェーンしかない。
「安くて美味い」だけでなく、「安くて美味いものがいろいろある」という多様性がミソです。

 


ちなみに、士林夜市は観光客目当てのお店が多く、私は屋台メシにあまり良い印象がないです。
地元の人がよく行く所や、台中など、ローカルな場所に行くほどに物価も下がるし、美味しさも増す気がします。


なお、屋台メシ以外もモチのロンでおいしいです。
薬膳の考えが浸透しているのも個人的に好きですね。
特に火鍋(酸っぱい白菜のスープのやつ)が好き!

 


3 人と人との距離がちょうど良い


つかず離れず、でも困ったら助けてくれる。
それは店員と客の関係であっても、見ず知らずの他人相手でも同様です。

 


過剰サービス大国日本で生まれ育った私ですが、自分もサービス業の立場を経験し、
「お客様は神様、ではない」
という結論に行き着きました。


店員と客は対等であり、お互いに人としての敬意をもって接すればいい。
やったら舐め腐った態度や失礼な態度で接してくる客にはお帰りいただくべきだし、
店員も、客の度を超えた要求や自分の知識不足を棚に上げての察してチャン客には毅然とした態度で「不可」を伝えるべきだ。


お互いがお互いをリスペクトし、自分の要望を丁寧な態度で伝えること。
ビジネスの世界では当たり前だけれど、なぜか一般客相手だと途端に難しくなる。


私は日本の不必要なまでにへりくだった慇懃無礼な接客より、台湾のフランクな接客のほうが好きです。
それに、台湾の接客はフランクですが、言葉が通じないからといって適当にあしらわれたり、無下に扱われたりすることはほぼ無いです。

 


また、これは海外全般に言えることかもしれませんが、困ってる人に対して自分たちができる限りのことをして助けてくれます。

 

 

 


Q3 台湾茶の魅力とは?


A 一杯の茶に服す、安らかな時間。


今年の2月にめでたく訪台13回目を迎えたわたくし。
そんな私が台湾旅行で最も楽しみにしているのが、お茶屋さんでの試飲です。


「試飲」という言葉では、お茶の入った小さな紙コップを配られる……というイメージがわくと思うのですが、台湾茶の試飲は違います。
きちんと椅子に座って、店員さんとテーブルごしに向かい合うのです。
飲みたいお茶のリクエストを聞いてくれることもあるし、ちょうどそのとき店員さんが飲んでいたものを「まずは一杯」と注いでくれることもあります。


そう、台湾茶の試飲とは「店員さんからのおもてなし」なのです。
しかし、茶道のもてなしとは違い、茶を挟んで向かいあうその瞬間はホストも客も、上も下もありません。
一杯の茶の前では、人は平等なのです。


あの15分から1時間の、穏やかな時間のために私は台湾を訪れるのかもしれません。


f:id:ZenCarpeDiem:20200722202618j:image


他の茶の世界と比べると、その違いがよく分かると思います。
以下、私のイメージです。

 


・抹茶=ラスボスVS歴戦の勇者


f:id:ZenCarpeDiem:20200722202553j:image

ホスト側の込めに込めたおもてなしのディティールに対し、客は全力で迎え撃たねばなりません。
掛け軸、床の間の花、ほのかに香る練り香、目にも楽しい季節の御菓子。
それに応えるための服装、所作。
また、複数の客を引率する正客の立場の人は、周囲の人も楽しめるよう、会話の技術も必要です。
(茶会では、亭主(ホスト)と正客(しょうきゃく・一番上座に座る主賓)の二人以外はおしゃべりをしてはいけない、という決まりがあります)


つまり、ホスト側と客側の力量が同程度でなければ、おもてなしとして成立しないのです。

 


・紅茶=孤高の剣士


極める、という言葉が最も似合うのは紅茶の世界ではないでしょうか。
最も温度に気をつけ、時間に気をつけ、茶葉の味をしっかりと引き出す。
真剣に茶葉と向かい合う姿は、ストイックな求道者さながら。


f:id:ZenCarpeDiem:20200722202532j:image


自分の紅茶生活を振り返ると、自問自答せずにはいられません。
私は茶葉本来の味を楽しんでいるのか?
ミルクと砂糖で中和して、舌になじむ味に調合して、よくある「紅茶っぽい味」をただ消費しているだけではないのか?

 


本当においしい紅茶、茶葉本来の味が引き出された紅茶とはどんな味がするのか?
まだ「本物」に出会ったことがない私は、目指すべき背中というものが分からない。
ですが、その背中に出会ってしまった剣士が、それを目指さずにはいられないように、本物の茶葉の味を知ってしまった人もまた、極めずにはいられないのでしょう。


様々な産地やメーカーの茶葉を試し、それぞれが持つ茶葉の魅力を引き出し、至高の一杯を探し求める。
その姿は、武者修行に励みながら憧れの背中に追いつけ追い越せと日々努力する剣士のようです。

 


・コーヒー=様々な可能性を模索する研究者


f:id:ZenCarpeDiem:20200722202637j:image

ハンドドリップ、サイフォン抽出、ラテアート。
ブレンドスペシャリティコーヒー、なんとかかんとかモカフラペチーノ。
コーヒーを煎れる技術、飲み方、アレンジ。
コーヒーという一種の豆から導き出される可能性は無限大です。


多くの人にとって、コーヒーは生活必需品です。
そのため、インスタントやペーパードリップ、コーヒーメーカーなど「生活の中で手軽に飲む」という手法が広く浸透しています。


しかし、手軽な日用品だからこそ、その深淵をのぞいてしまった人はさあ大変。
豆の粗挽き、細引き、水出し、湯温、抽出時間、ハリオV60、デロンギ……。
コーヒーのもつ無限の魅力にみせられ、その奥深さにはまってしまうのでしょう。


コーヒーという一つのものに対し、様々な角度からアプローチし、まだ見ぬ可能性を引き出していく。
研究に没頭する研究者さながら、その探究心には頭が下がります。

 

 


私にとっての台湾茶


茶のルーツである中国では、普段は白湯を飲み、茶を飲むのは家族や友人との団らんの時だけだったそうです。
つまり、茶は特別な飲み物。
ハレとケでいうとハレの存在、日常から離れたごちそうの一つです。


こんな「台湾茶めちゃくちゃ飲んでます!」みたいな文章を書いていますが、私も毎日は飲みません。
週に一回か二回、気が向いた時だけです。


台湾茶は急須に茶葉とお茶を入れるだけなので、面倒なことはほぼありません。
急須も洗わなくてOKなので、ずぼらな私にはぴったりです。


しかし、白湯と比べるとやはり手間はあります。
電気ポットの湯をそのまま飲む白湯と違い、茶葉を用意したり、後で捨てたりする手間はあります。

 


丁寧に台湾茶をいれて飲むと、とても落ち着きます。
台湾茶に触れたときに知った、あの何もない、一杯のお茶を飲むだけの時間。
そんな安らかな過ごし方があることを、私は台湾茶を飲んだときに知った。

 


今の世の中において、ほっとできる時間ほど失われてしまったものはないのではないか。
ただ目の前のものをじっと見つめ、味わい、静寂に耳を浸す時間。
ほっと、心が落ち着く瞬間。
文明や技術の発展と引き替えに、私たちが失ったもの。
台湾茶は、そんな日々の生活ですり減り、汚れ(気の枯れ・ケガレ)た心を潤してくれるのです。

 


台湾茶を通して、店員さんとのもてなしのひとときを通して、一杯の茶に服すという安らかな時間があることを知った。
そして、台湾茶を通せば、私たちはその時間をいつだって味わえるということ。
そのことを、より多くの人に伝えたいと思います。

 


台湾茶に狂う人は、安らかな時間を心の底から求めていたのかもしれません。
渇きが切実だからこそ必死になって求めるように、私たちは必死になって多くの人に伝えようとするのかもしれない。
その結果、勢いあまってクレイジーに見えてしまうのかもしれない。

 


台湾茶は、私たちの心の渇きを潤してくれるのだ。


参考文献

f:id:ZenCarpeDiem:20200722203105j:image

『お茶のすすめ お気楽「茶道ガイド」』川口澄子 WAVE出版


f:id:ZenCarpeDiem:20200722203113j:image

『紅茶の教科書』礒淵猛 新星出版社


f:id:ZenCarpeDiem:20200722203123j:image

『コーヒーとボク 漫画家に挫折したボクが22歳で起業してコーヒー屋になるまで』相原民人 双葉社