なんちゃって連載作家体験記。
まだ下書きすら完成していないのに連載なんかはじめちゃって、途中で止まったらどうするの?
やっぱ書けませんでした、なあんてめちゃくちゃ恥ずかしいやつじゃん。
え? まじ? 私、ちゃんとやれる??
テンパる私に咲世子さんが、
「あたしは版画だけど、締め切りに合わせてものをつくるなんてみんなやってることよ。
別にたいしたことじゃないわ」
そうさらっと言ってくださったので、「それもそうか」と落ち着いて二週間を過ごすことができました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
(『黒の咲世子』の異名をもつかっこいい女性版画家が出てくる作品はこちら!)
なんちゃって連載作家体験記。
ことの発端は二月六日。
シューファイをメインとした二次創作小説を書き上げ、私は心地よい虚脱感に浸っていました。
三月十四日のイベントに申し込もうかどうしようか悩みつつ、ようやっと重い腰をあげ、のほほんとページを開いたら時すでに遅し。
ひとことで言うと、イベントに申し込み損ねました。
まあ、私が遅刻した分だれかが入れたってことだし、よかったよかった。
(正直に言うとそのあとふて寝しました)
しっかり寝てメンタルも回復し「作品づくりは自由だし、自分のペースでやっていこう」とちょっとずつ筆を走らせ始めました。
ゼロ話をかき上げ、このあとどーしよっかなーと適当に書きたいシーンをメモしていく。
今回の作品は長くなりそうでした。
前作ではフーシーをほぼ出せなかったので、フーシーについてなにか書きたいなーという気持ちだけがつのっていきました。
そんな折、私は早朝ののぞみに飛び乗りました。
さくらいさんのフーシーに会うためです。
鑑賞後、私は決意しました。
フーシーの話、絶対完結させる。
長い小説も、ちょっとずつなら書けるかもしれない。
せっかくなら、イベントの前座みたいな感じで毎日一話ずつアップすればいいんでない?
なんだか、新聞連載の小説みたいでかっこよくない?
…そんな感じで今回のお話はスタートしました。
連作としてプロットをつくり、話数を決める。
登場人物、話のテーマ、各章節ごとの内容。
漢詩もつくってみたかったので、ざっくりとイメージもメモしておく。
実は小説のプロット、作ったことなかったんですよね。
マンガはプロットとネームがないと話にならないんだけど、小説はなくてもなんとかなります。
あと、村上春樹さんが「ぼくは作りません」って言ってたから……まねしてます。
春樹さんはストーリーを決めず、小説を書きながら主人公と一緒にストーリーを体験していくそうです。
プロットの大枠が決まると、下書きに入る。
IWIの万年筆(くすみブルーのインク)を使い、ノートにがーっと書いていく。
ノートのいいところは、気に入らないけど他に良い表現が思い浮かばないとき、取りあえず下線だけ引いて、あとから考えられるところです。
内容の順番を入れ替えたいときも、かっこと矢印だけでOK。
やっぱやめたってときは、矢印にバツをうっておく。
四話まで下書きがたまったところで、公開初日を迎えました。
(かちキレフーシーのシーンです)
ノートのペン書きをポメラで清書し、SDカード経由でPCに移す。
んで、Google Keepにコピペして、スマホに転送。寝る。
次の日、Google Keepの文章をもう一度見直す。
そして、文庫ページメーカーさんを利用し、画像化してツイッターに上げる。
初めて文庫ページメーカーさんを使ったときは押せるボタンの多さに戸惑いました。
だが、初心者には伝家の宝刀「初期設定に任せる」がある。
とりあえずで生成ボタンをポチりました。
はじめは余裕があったんですが、最後はやっぱり自転車操業になりました。
最終章は下書き→ポメラ→スマホとほぼ一日の突貫工事でした。
あと、終章と同時に「いえーい、かんせー☆」みたいなイラストも一緒に上げたかったんですが、全然間に合いませんでした。
(まだ線画です)
これから
作品は完成してからが大切だよってことで、一端印刷して、以下の点を見直します。
1 比喩
2 感情
3 表現
1 比喩
村上春樹さんが「小説とは文体です。文体とは比喩です」って言ってらしたので、「おっけー! 比喩ね!」ってことで比喩には気をつけています。
比喩は想像力を働かさないといけないので、一端読みが止まります。
入れすぎると、毎回赤信号で止まらされるような不快感につながるので、ここぞ! ってところで入れます。
(自画自賛なんだけど、ゼロ話の鳥の比喩と、6話の檻のイメージがめっちゃいいかんじにはまった)
2 感情
カズオ・イシグロさんが「小説の役割は、感情を伝えることです」って言ってらしたので、それにならいます。
(NHKのインタビューより)
人物の行動と感情がリンクしているか。
伝えたい感情があるのに、行動がさらりとしすぎていないか。
立ち止まって考えてほしいなら、ふさわしい比喩は何か。
周囲の人物は棒立ちになっていないか。
そんな視点で見直します。
3 表現
表現力がすごい作家さん、あなたは誰を想像しますか?
私は柳美里さんです。
高校生の時、柳美里さんの『ゴールドラッシュ』を読んでいて吐きそうになったことがあるんです。
失礼な言い方になって申し訳ないのですが、主人公が住んでる家のごみごみした感じとか、腐臭がきつくて、おえってなってしまったのです。
……いやいやいや。
これ、小説だよ? ただの文字だよ?
絵も、色も、臭いもついてないよ!?
ただの文字で吐き気をもよおすってすごくない??
口元を抑え、本を閉じながら賞賛しました。
これが言葉の力か、と。
(今は柳美里さんの「ウーパールーパー」(『飼う人』収録作品)を読んでます。
…これもですね、サンドペーパーで腕をしゃりっ、じゃりっと引っかかれるような痛みを感じるんですよ…。
しかもだんだんサンドペーパーの目が粗くなっていくんです。
じゃりっと腕を引っかかれるたびに「いちっ、あてっ、あだだだっ!」って叫びながら読んでます)
私の書いたやつはそこまで痛みはないので、飯テロ度なんかを強化したいですね。
もっと鳥の丸焼きをジューシーに書きたい。
ー・ー・ー・ー
文章を書くと、自分のくせが見えてきておもしろいですよね。
私はどうしても短文になります。
小論で鍛えられたので、文が長くなると「そこ、切れるよ」と脳内で指摘が入ります。
あと、北方謙三先生の影響も濃いですね。
高校一年生の時、半年間どっぷり北方三国志に浸かったからなあ。
読み手としては、長文だけどリズムがよくてどんどん読まされちゃうのとか好きですね。
綿矢りささんの作品とか。
三島由紀夫も長文なのにさらっと読まされちゃいますよね。
さらっと読まされすぎて「いや、さっきの流麗すぎて何ゆうとるんかさっぱり分からんかったわ」ってよく後戻りしますが。
ほんと、三島由紀夫は何食ったらあんな綺麗な文章かけるん? って思います。
さて、二週間を共に駆け抜けた戦友(ポメラ)と離れがたくて書き始めたこの日記。
そろそろ閉めたいと思います。
ロシャオにはまって現代中国に関する本を読んだので、次はそれについてまとめたいなと考えています。
いやあ、それまでうちの本棚、中国関係は漢詩とSFしかなかったんですよね。
現代がすっぽり抜け落ちていた。
私のオタク歴は中学の時に真三國無双3の陸遜にドはまりしたところからスタートします。
なので、一周回って帰ってきたような安心感があるんですよね、ロシャオ。
中国、今も昔も、目が離せない国です。