今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

せんせいのなつやすみ。2日目

最後かもしれないだろ。
ーーだから、全部話しておきたいんだ。


まあ、語るのはザナルカンドのことじゃなくてフーシーのことなんですけどね。


〈本日の気付き:金属と木の違いから考察〉

ムゲンさまとシャオヘイがあやつる金属。
フーシーがあやつる木。
それぞれの特性から、考察してみました。


金属は変幻自在だ。
無機物ゆえに、引き伸ばされても叩き潰されても元に戻ることができる。

はたして、木はどうだろう。
有機物である木は、多少の弾力はあるものの、無理な力を加えると折れてしまう。
折れたところは元には戻らない。
替えのきかない。
融通もきかない。
なんと、わがままで脆い存在か。


私たち人間も有機物である。
現代では、時代に合わせて柔軟に変化することが美徳とされている。

しかし、それは本当にいいことなのだろうか?


無理に合わせようとすれば、どこかが蝕まれていく。
過剰な負荷をかけ続ければ、それは取り返しのつかない形で跳ね返ってくる。
折れた木は元には戻らない。

「妖精は人間と共存するしかない」

現実世界においても、多様性を認めることは望ましいこととして奨励されている。
でも、心のうちではどうだろうか。


もちろん、多様性があることは素晴らしい。
なぜなら、多様性は絶滅のリスクに強いからだ。

農家が様々な品種の作物を栽培するのも、
モノカルチャー経済が安定とはほど遠いものであるのも、

何か一つのものに依存するのは、その一つに問題が起きたとき、全て消え失せてしまう可能性があるからなのです。

つまり、

多様性とは、「種の存続のためのシステム」

なのです。

感情とは全く別。
個のためではなく、人間という種の存続のために必要なだけなのです。

そして、このシステムを維持するために私たちの心が犠牲になっている。


私たちの、

「変わりたくない」
「よそのものなんか受け入れたくない」

という気持ち。
その気持ち自体は間違いではありません。

多様性を受け入れることは大切です。
自分たちと違うものを排除する世界は健全とはいえません。

だからこそ、

「変わりたくない」
「よそのものなんか受け入れたくない」

そんなマイナスに見える気持ちを表明できない世界は違う、と思うのです。


ー・ー・ー・ー


「ぼくがここに」
作:まど みちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも ぼくに かさなって
ここに いることは できない
もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない
ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに まもられているのだ
どんなものが どんなところに いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

(光村図書 国語教科書 中学1年生より引用)


私はこの詩に感動しました。
とても、とても大切なことを言っている。

でも、この大切なこと。
どうやって説明したらいいのだろう?
私は思いつきませんでした。

結局、昨年の授業ではこの詩を取り上げませんでした。
羅小黒戦記を見て、フーシーを見て…。
今なら、この詩が伝えようとしている大切なことを理解できます。


ムゲンさまはこう言います。


「妖精と人間は共存するしかない」

と。

でも、フーシーの願いはムゲンさまの提示するものとは相容れなかった。
フーシーはこそこそ隠れて暮らすことはいやだった。
じゃあ、どうしたらいい?

お互いの願いが相反するとき、どうしたらいいのだろう?

 

ぶつかるしかない。

ぶつかるしかないんだよ。
だって、同じ場所に二人同時には立てないんだ。
なら、それぞれの存在をかけて尊厳をかけて、互いにぶつかるしかないんだよ。
それが、生きるってことなんだよ。

 

共存、多様性。

なんて美しい言葉でしょう。
どんな問題も優しく包み込んでくれる、ふところの広い言葉でしょう。

それらの言葉ですべてくるんでそのまま扼殺して、まるで初めから何もなかったかのようにしてしまうのでしょう。


対立がないから理解がない。
理解がないから解決もしない。

今の世界は、対立をさけることで多くのことから目をそむけているように思えます。

 


ー・ー・ー・ー

 

さて、真面目なこといっぱい書いたので、ちょっと息抜き。

 

ちょっと思いついたんですけど、ロシャオって、

「しま⚫ろうの皮をかぶったまどマギ

じゃないですか?

 

あんなハッピージャムジャム踊ってそうなかわいい絵柄で、なんちゅう結末を見せてくるんだ、という。

 

初見のとき、

「うんうん。フーシーはがんばったよ。

 きっと館の人たちもフーシーのきもちは理解してくれたと思うよ。

 牢屋入りは仕方ないけど、でも、いつの日か自由になれる日がく……え?

え、いや、ちょ……ええええええええええええ!?!??!!!!」

ってなりましたもんね。

 

あの日以来、私の心が行方不明なんですよね。

銭形警部に捜索を依頼しましたが、まだ見つかっていません。

 


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フーシーの隣にいるシャオヘイは「ザ・男の子!」って感じの顔になって好きです。

 

最後に。

塚口サンサン劇場さま、再上映ありがとうございました!

これを楽しみに一学期を駆け抜けたといっても過言ではなかったです!