手と目の共同作業
せんせいのなつやすみ。20日目
まだ寝てないから8月9日です!
先週のはじめにメンタルブロークンしてから、自分のための行動ができません。
ごはんを作るとか、掃除とか。
(あ、掃除はいつもか)
わたしの性格上、落ちるときはとことんまで落ちるのですが、お盆休みがこれに輪をかけてきてます。
つまり、
生活リズム? 何それおいしいの?
っていう状態です。
でも、なぜかお絵かきはできるんですよね。
活字読むのもしんどくて漫画しか読めない状態なのに、絵は描ける。
なんでだろう? ってことで考えてみました。
手と目の共同作業
「絵を描くっていうのは、頭の中の理想のイメージ(ディゼーニョ・インテルノ)を再現することではない。
手で描いたものを目が見る。
それを元に手で描く。そして見る。
見たものを基準にして、また手で描く。
それの繰り返しだ。
だから、出来上がった作品が自分のイメージと違っていて当然なんだ。
だって、絵は自分のイメージ(頭)だけじゃなくて、自分の手と、目の共同作業によって生まれたのだから」
結局は取得しなかった学芸員資格のための授業、美学。
この授業で習ったこと、かなり人生の役に立っています。
この本に内田樹(うちだ たつるさん:フランス哲学研究者)の体験談が出てきます。
内田さんはウツによる自己否定の嵐のなか、合気道をやっているときだけは自分のことを好きでいられたそうです。
なぜ、合気道をしているあいだは鬱々とした気持ちから抜けられたのか?
まず、合気道には勝ち負けがありません。
(試合ではなく、"演武"というそうです)
「合気道では身体をモニタリングして
『どう動きたいのか?』
身体の声を聞くんです」
(本書より抜粋)
つまり、自分の考えとかは一旦置いておいて、自分の身体にフォーカスを当てる、ということです。
「脳を休ませ、身体に主導権を移す」
おそらく、私にとって絵を描くことはこれに当たります。
手(身体)が描いたものを目で見て、
頭で考えてから手に出力させる。
そしてまた、手(身体)が描いたものを目で見て考える。
絵を描くという行為には、身体の声を聞くという行為が含まれる。
きっと、絵に限らず創作やスポーツも同じことがいえるのでしょう。
ってことは、絵すら描けなくなったらいよいよやべえってことですね!
とりあえず、生活リズムをなんとかしたい今日この頃です。