今日を摘む

ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

ノートテイカーとノートのゆくえ。

せんせいのなつやすみ。24日目
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耳が聞こえない(聞こえにくい)聴覚障害

彼らが健常者と同じように授業を受らけれるよう、情報取得のアシストをするノートテイカー(要約筆記者)。

 

現在は聴覚障害のアシストがメインですが、この、

「ノート筆記を代替してくれる」

という存在はこれから増えるのではないかと思います。

 

というか、

「授業を聴いてノートをとる」

という行為そのものがなくなっていくのではないかと思います。

 

すでに、パワポ資料を先んじて聴衆に渡すのは当たり前になっています。

私自身がノート点検に意味を見いだせなかった、という経験もあります。

 

何が言いたいかというと、

「ノートをとる、という行為は勉強ではない」

ってことです。

 

授業を聴いて、メモをとる。

それはとても大切なことです。

でも、「ノートをとること」はあくまで情報収集です。

勉強の前段階にすぎません。

 

もちろん、学校で黒板を写すこと(≒ まとめられた情報を自分のノートに写し、まとめ方をまねぶこと)は無駄ではありません。

全ては真似から始まります。

 

重要なのは、学校で行っている「授業を聴いてノートをとる」という行為はあくまで情報収集力を鍛えるものであり、勉強のための技術を磨いているだけであると自覚することです。

学校での”まなび”は”まねび”であり、勉強ではない。

習ったことを出発点にして、そこから先へ進むこと。

自分で考えて、新たに吸収していくこと。

そこまで行ってはじめて、

「ノートを”使う”」

ことができる。

 

そんなふうに思います。

【参考書籍・サイト】

 

札幌学院大学ノートテイクボランティアホームページ

https://www.sgu.ac.jp/bfc/kouhou/guide_nt/notetake1.htm