三国志を読んでる人は頭がいい!?
せんせいのなつやすみ。32日目
中学の夏休み。
あの日、友達の家で三國無双3をやらなかったら。
陸遜伯言にハマらなかったら。
私はオタクになっていなかったかもしれない。
陸遜にハマって歴史小説(北方謙三先生)を読み、PS2を買ってもらい、PCで同人サイトを探すようになりました。
三国志を読んでる人は頭がいい!?
まだ三国志に出会う前のとき、担任の先生(体育科)が言いました。
「○○君(学年トップの子)が頭いいのはな、横光三国志を読んでいるからだ」
ふーん。
当時はさらっと聞き流したのですが、大人になってこの言葉がよく分かるようになりました。
大量のデータ・流れ・関係性
まず、三国志にはたくさんの人物が出てきます。
魏呉蜀とその他の国々。
彼らにはそれぞれ所属先の国があります。
また、三国志は長いので途中で亡くなったり、あとから出てきたりします。
つまり、人物とは要素を持ったパーツなのです。
それが大量に出てきます。
三国志には時代という、過去から未来へと流れる時間があります。
そして、一直線に流れる時間は○○の戦い、という戦乱名で区切ることが出来ます。
さらに、戦いには人物も絡んできます。
虎牢関の戦いは最初のほう、呂布が出るやつ。
樊城の戦いは初めは蜀が優勢だったけれど、関羽が討ち取られてしまう。
つまり、時代の流れを軸にして、系統立てて考えることができるのです。
国同士の関係性も一定ではありません。
巨大な魏を打ち倒さんと、蜀と呉は赤壁の戦いで同盟を組みます。
しかし、蜀が軌道に乗ってくると手のひらをくるり。
先程も出てきた樊城の戦い。
樊城にこもる魏の曹仁を水攻めにし、前半は蜀漢が優位に立ちます。
孤立した樊城から白旗が出るのをのんびり待っていた蜀軍。
そんな彼らの後ろにあらわれたのは、かつて同盟を組んでいた呉の軍勢でした。
(ちなみに、樊城の戦いでは陸遜が裏で大活躍してるよ! 詳しくは調べてみてね!!)
いきなり出てきた呉の軍勢に蜀軍はてんやわんや。
ついには蜀漢の柱ともいえる関羽までもが討ち取られてしまいます。
この報せを聞いた劉備は大激怒。
報復のため、呉に戦争をしかけます(夷陵の戦い)。
…とまあ、説明が長くなりました。
何が言いたいかというと、モノとモノには関係性があるっていうことです。
そして、関係性は一定ではありません。
時代によって、からむ人物によって、関係性は変化します。
三国志を通して学べる、
大量のデータ・流れ・関係性
これらは知識を仕入れるときの基本になるのです。
もうお気づきですね!
そう、三国志以外でもいいのです。
何か一つでも夢中になれるものがあって、それを通して大量のデータに触れ、それらを系統立てて位置付け、それぞれの関係性を学ぶ。
大人から見たら「へんな怪獣の名前ばっかり覚えて…」とため息をつきたくなることが、知識の収集・整理・活用の基礎になっているのです。
子どもたちが(大人から見たら)わけわかんないものにハマって、そればっかり集めていても、どうか取り上げたりしないであげてください。
足るを知る
せんせいのなつやすみ。31日目
今日もさっくりブックレビュー✩.*˚
(今週の前半めっちゃがんばったので、ややお疲れ気味です)
今日紹介する本、一言でいうなら、
「足るを知る」
です。
ちなみに、このシリーズは全部で三巻あります。
ただ、今から読むなら断然漫画版をおすすめします。
マンガは内容がまとまっていて、とてもわかりやすいです。
何より、村田順子先生の描かれる絵と内容がすごーくマッチしています!
絵を通して、ジェニファーの想像するイメージがすっと入ってきます。
……実は、現在メンタルが折れる寸前なのです。
「好きなことはほっといてもどんどんやれるんだけど、興味無いものは一切受けつけない」
という自身の特性により、なんかもうまじやばたにえんって感じなのです。
メンタルは爆死寸前なのですが、この本を読んでいるあいだだけは感性が生き返るのです。
美しいものを美しいと感じられる。
そのことの尊さを、今、ひしと噛みしめています。
知性は後頭部に宿る。
羅小黒戦記を視聴し、次の問いに答えなさい。
せんせいのなつやすみ。29日目
問)羅小黒戦記の結末は、以下のうちどれに当てはまると思いますか?
①グッドエンド ②バッドエンド ③メリバエンド
上記の中から一つ選び、選んだ理由を800字以上で説明しなさい。
なお、字数制限は設けないものとする。
※メリバエンド……メリーバッドエンドのこと。受け手の解釈により、グッドエンドにもバッドエンドにも受け取ることができるもの。
もし、羅小黒戦記を教材として取り上げるとしたら?
自分だったらこうするかな、というものを書いてみました。
まあ、”教材”っていうと仰々しいですが、国語において教材とは、"考えるヒント・きっかけ"みたいなものなので。
(国語のこのゆるさが好き)
ー・ー・ー・ー
〔解答例〕
・選んだ結末 ①グッドエンド
・理由
私は、羅小黒戦記の結末はグッドエンドであると考える。
理由は二つある。
1 敗北=バッドエンド……ではないから
2 フーシーの選択を肯定したいから
理由1 敗北=バッドエンド……ではないから
まず、私の推しキャラクターはフーシーである。
フーシーは主人公の敵であり、物語は彼の敗北で幕を閉じる。
そして、自身が犯した罪相応の罰を受ける(と、いう書き方でにごします)。
しかし、それはあくまでフーシーの行動の結果である。
結果の前に過程がある。
フーシーが作中で戦っていたムゲンというキャラクタ-。
彼は最強の存在として羅小黒戦記の世界に君臨している。
つまり、人類最強のオメガウェポンである。
ー最強の敵をどう降すのか!?ー
すでにこの時点で少年マンガ顔負けのドキドキワクワク展開が始まっているのである。
真っ向勝負ではまず敵わない最強の敵を相手に、フーシーは知恵の力でもってこのバトルを制する。
フーシーのもつ能力、強奪。
彼は他者の能力を奪い、それぞれの力を組み合わせ、ムゲン様という人類最強兵器に立ち向かう。
そして、ムゲン様(人類最強のオメガウェポン)をなんとか出し抜き、シャオヘイを奪取するという超高難易度ミッションをクリアーする。
その上、領界の展開をも成し遂げる。
いわば、ムゲン様という最強の敵に対して、二度の勝利を収めたのだ!
フーシーが妖精たちから奪った能力。
これらの力も、ただ力任せに奪ったのではない。
精選されている。
・霊音……ムゲンさまの鉄の防御を突破できる、唯一無二の武器。
・霊爆……五行における"火剋金”(火は金属を溶かす)
木属性であるフーシーにとって、金属性のムゲン様は弱点にあたる。
五行思想における、”金剋木”(金属製の斧やのこぎりは木を傷つけ、斬り倒す)
つまり、霊爆は自身の弱点を補い、相手より優位な立場を得るために取得したのだ。
・画霊……空を飛ぶ能力の補完。
離島組で空を飛べるのはシューファイだけですね。
(ちなみに、シューファイは水属性なので、ムゲン様の金属性とは"金生水"の関係にあります。
金属の表面には凝結により、水が生じる。
簡単に言うと、ムゲン様にとって水属性のシューファイは格下にあるわけです。
己界に取り込めることも相まって、シューファイにとって、ムゲン様は天敵ともいえるほど相性が悪いのです。
……離島組で一、二を争う高火力兵器シューファイも、ムゲン様の前では形無しなのです)
あ、画霊は一度きりの切り札にもなりましたね!
知恵と知略で強大な敵をあざむき、勝利する。
(どこの諸葛亮孔明かな??)
これ以上ないくらいの完全勝利です。
でも、だからこそ。
あれだけ手を尽くして、すべてを出し切って、それでもシャオヘイたちに負けた。
完全燃焼したフーシーの背中に送るのは、賞賛の拍手しかない。
確かに結果は完敗だ。
だが、これ以上ないくらい最高の戦いだった。
あの激闘の結末がバッドだなんて一ミリも思わない。
理由2 フーシーの選択を肯定したいから
世界は二項対立でできている。
善と悪。
敵と味方。
好きと嫌い。
もちろん、その中間も存在する。だが、ここで重要なのはそこではない。
世界は二つの相反する観念、二項対立でできている。
しかし、ここに大きな落とし穴がある。
”善い”と”悪い”
確かに、世界は二項対立でできている。
だが、
”善い人”と”悪い人”、あなたはどちらと友達になりたいだろうか?
敵より”味方”のほうが、
冷たいより”温かい”ほうが、
悲しいより”嬉しい”ほうが、
悪いより”善い”のほうがいいに決まっている。
世界は二項対立でできている。
しかし、どちらを選ぶかは最初から決まっている。
選択肢は一つだけだ。
でも、だからこそ。
世間とは逆の道を選んだフーシーの選択を肯定したい。
共存ではなく”拒絶”を、
和解ではなく、”闘い”を、
世間が提示する立派で美しい道ではなく、自分の願いにみにくくすがったフーシーの選択を、肯定したいと思うのです。
また、フーシーの選択を肯定することは、羅小黒戦記のテーマである、
「自分で考えろ」
ともつながると思います。
ー・ー・ー・ー
フーシーが最後に示した選択。
決して肯定されない、わがままで自分よがりな選択。
(……このとき、フーシーがシャオヘイに向けて言う「ごめん」。
あの言葉は、
「(最後まで利用して)ごめん」
という意味なのではないかと思います。
フーシーが最後にとったあの行動。
おそらく、フーシーには勝算があったのだと思います。
”シャオヘイが自分の近くにいる。
この状況ならば、ムゲンは自分を止めることはできない。
きっと、シャオヘイを守ることを優先し、自分を見捨てるだろう”と。
それに、シャオへイの領界を奪ったこと。
あの「ごめん」がそれについての謝罪だとするのは、いささか軽すぎると思います。
子ども殺しかけてごめんじゃすまねーだろ。
そのことはフーシー自身が痛いほどに分かっていると思います。)
最後の最後まで自分の願いのために利己的に、わがままにふるまったフーシー。
世間から非難されても仕方が無いと思います。
でも、だからこそ私はフーシーを肯定したい。
フーシーの選択を、何よりも尊重したいと思います。
また、フーシーの選択があったからこそ、シャオヘイも自分の意思で選択することができたと思います。
妖精は、妖精館で暮らす。
そんな一般的な常識を越えて、自分で考えて、自分の居場所を選ぶことができた。
フーシーの選択は、シャオヘイへとつながっている。
フーシーが見せた背中を、弟たちはおぼえている。
この、”つながる”という意味でも、フーシーの(およそ正しいとはいえない)選択を肯定したいと思います。
まとめ
問)羅小黒戦記の結末は、以下のうちどれに当てはまるか?
①グッドエンド ②バッドエンド ③メリバエンド
私は、羅小黒戦記の結末は ①グッドエンド であると考えます。
第一に、敗北=バッドエンドではないからです。
確かにフーシーは敗北しました。
取れる方法はすべて取って、全力を出し切って、それでも敗北しました。
フーシーの全てを懸けた渾身の激闘。
これをバッドと呼ぶのはあまりにもナンセンスです。
第二に、フーシーの選択を肯定したいと思うからです。
フーシーは拒みました。
人間と妖精の共存という、世間が提示する正しい道を拒絶しました。
フーシーは和解ではなく、闘うことを選びました。
世界では初めから無いことにされている、後ろ暗い荊(いばら)の道です。
およそ正しいとは言えない選択肢を、彼は自分で考え、選択しました。
自分で考えて、自分で選んだ。
その無二の選択を、私は肯定します。
その選択に込められた彼の葛藤を、苦悩を、尊重したいと思います。
以上、二つの理由から「羅小黒戦記は グッドエンド である」と主張します。
(解答文字数 2792字)
感動>>>>(越えられない壁)>>>>納得
せんせいのなつやすみ。27日目
ひさびさにプロメアを見て、感動の余韻がなり止みません。
いやほんっっとすごい。
あの作品はすごい……!!
昨日の日記で、「プロメア=音楽の力(物理)」という話をしました。
今日は「 音楽のもつ力 」について、少し解説をしようと思います。
音楽のもつ力
まず、言葉と音楽について比較します。
言葉とは、デジタル信号です。
誰もが使うことのできる、便利でチープな道具です。
どんな言葉(道具)があり、どうやって使えばいいか?
その方法は国語辞典などによって整理され、まとめられています。
理論上、大人でも子どもでも、言葉を使ってコミュニケーションすれば、だいたいのことを伝えることができます。
ちょっと強引にまとめると、
「言葉を使えば、どんなことでも伝えることができる」
逆に言えば、
「言葉が読めれば、どんなことでも理解できる」
ということです。
(もちろん、物ごとを100パーセント正確に伝えることは不可能に近いですが、そこはいったん割愛します)
ですが、ここに落とし穴があります。
何かを正確に伝えられる。
過不足なく理解することができる。
…ということは、それ以上先に進む必要がないということです。
だって、もう答えは出ているから。
1+1= 2 で終わってしまうように、一度理解したら、それ以上先に進むことはできない。
(その先に進めるのは、アインシュタインくらいです)
言葉を聞いて、読んで、理解して納得する。
納得は考えること、悩むことの終着点です。
感動とは違う。
もし、誰かを感動させたいなら、理解を超えたその先へと連れていく必要があります。
名ゼリフとは?
世の中には、名ゼリフとよばれるものがあります。
「安西先生…!! バスケがしたいです……」
(『スラムダンク』井上雄彦・集英社より)
とか。
忘れがちなのですが、名ゼリフとよばれるものたちは、ポンッといきなりそのセリフが出てきたわけではありません。
そのセリフを言った人物。
そのセリフを発するにいたったシチュエーション。
そのセリフに込められた想い。
名ゼリフの裏には、さまざまなものがあります。
つまり、名ゼリフを名ゼリフたらしめているのは、名ゼリフそのものではないのです。
魅力的なキャラクターがいて、苦しく追い込まれた状況にあって、どうしようもなくて、それでも胸の内にうずまく想いがあって。
その全てがそろった瞬間。
言葉という薄っぺらなナイフに世界を切り拓く力が宿るのです。
言葉とは、デジタル信号です。
単純明快で、誰もが自由に使うことのできる便利な道具です。
薄っぺらくて、チープで、代替可能な量産品です。
でも、だからこそ。
人物・状況・気持ちがぴたりとはまったときだからこそ、言葉は力をもつのです。
どんな切れ味のいいナイフより、空気を切りさく名刀となるのです。
最近の作品にありがちなこと
(”最近の作品”ってざっくりまとめちゃうのはよくないのですが…)
……なんでもかんでも言葉で説明しすぎじゃないですか?
主人公は○○という過去がある。
だから、××という親の敵を倒そうとしている。
ヒロインは主人公のことが好き。
なぜなら、主人公の優しいところが好きだから。
(´・∀・`)ヘーソウナンダ
……で、理解して納得して終わっちゃうんですよね。
感動まで行かない。
音楽の利点は、
”確たる答えをもたないこと”
です。
理解の壁を飛び越えて、脳とハートに直接揺さぶりをかけることができます。
(遊戯王におけるダイレクトアタックです)
ゆえに、ヘタしたら「なんか、いー感じの曲だった」という印象しか与えることができません。
プロメアは音楽単体の力(”感動与え力”とでも名付けましょうか)もすごいし、ストーリーやキャラクターの気持ちとのハマりっぷりもほんとすごいんですよね。
え? さっきから「すごい」しか言ってないって?
だってすごいんだもん。
この感動を言葉に変換するには、あと十万字は必要です…!
ガロを描いたらリオも描かなければ……!! という使命感に駆られました。