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ハガキでは間に合わないときの手紙ばこ。

ヘタしたら死ぬ仕事:国語教員備忘録  その1

うつ病一回、50万。

これは私が常勤講師時代にこの身に刻んだ教訓です。
物騒だけど、とても大切なことです。

私の場合、自分一人だけならなんとかなっていたけれど、休職者が出たことによりドミノ倒し的に心と身体が潰れました。


自分のことだけでいっぱいいっぱいになっていてはダメなんだよ。
そのことを深く実感しました。

 

(あと、文系科目って倒れる率高くないですか?
 教える内容に上限がなく、こだわろうとすると無限にこだわれるから?)

 

しばらく国語から離れるので、自身の備忘録としてメモしておこうと思います。


ヘタしたら死ぬ仕事:
国語教員備忘録 その1

国語とは何か?

新学習指導要領における国語科の目標(中学校)は以下の通りです。

 

言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

(1)社会生活に必要な国語について、その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
(2)社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め、思考力や想像力を養う。
(3)言葉が持つ価値を認識するとともに、言語感覚を豊かにし、我が国の言語文化に関わり、国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

 

なお、私が国語の役割として考えているのが次のことです。

「感情の肯定」

自分の感想、意見、などなど。
国語という教科は自己の内面と深く関わっています。
まず、自分の中に「感じた気持ち」「言いたいこと」がなければ、"言葉にする"という表現までたどり着けません。

よくわからん、なんだこれ? でもOK。
その子が何を感じたのか? まず、その気持ちを肯定します。

でてきた感想が勘違いや理解不足による早とちりを含んでいても、まず、その気持ちを肯定します。
感想に間違いはありません。
その時点での感想、ということで全て肯定します。
認識や理解に間違いがあれば、その理由を考え、理解を深めていくのが授業です。
(一応、コメントで「なるほど。でも、主人公はこんなことも言ってなかった?」と、別の見方もあるよと軽く示唆しておきます)


国語とは何か?


私は、

「自己の感情を肯定し、感じる心・考える心の素地をつくる教科」

だと考えています。


国語で身につける力

「国語力=ことばの力」と集約されることが多いです。
では、「ことばの力」とは何でしょうか?
文部科学省の「第1 国語力を身につけるための国語教育の在り方」というページを参考に、4つの言語活動からまとめます。

ことばの力:4つの言語活動をもとに

1聞く
2話す
3読む
4書く

1聞く

人間は多くの情報を耳から仕入れています。
家族や友達との会話、先生の指示、駅構内でのアナウンス。
日常でのなんてことないコミュニケーションから、一刻一秒を争う重要情報の取得まで、聞くという活動の役割は広範囲にわたります。

コミュニケーション上で齟齬があれば対人トラブルの元になります。
駅でのアナウンスが理解できないと、電車が止まった時にどうすればいいのか。
動けなくなってしまいます。

また、音声情報を全て記憶しておくことはほぼ不可能です。
話を聞きながらメモをとることも聞く力の一つです。

重要なことは何か? どこまでが枝葉で、どこからが幹か?
耳で聞いて判断する力がつくと、世界に対する恐れがなくなります。

2話す

話すことも基本的なコミュニケーションの一つです。
私たちは家族や友人相手にほぼ無意識にことばを操っています。
なので、勉強なんてしなくてもできるじゃん、と思っている行為の一つでもあります。

話す、ということが意識されるのは、公的な場面です。
家族や友人とは違う、"いいかんじに察してくれない人たち"に対し、話す力は発揮されます。

自分は何を言いたいのか?
どういう順番で話せばわかりやすいのか?
きつい言い方や不適切なことば遣いになっていないか?

話すという活動は以下の流れで行われます。

内容
 ↓
構成
 ↓
ことばの使い方・話し方

話すことは、より多くの人に自分の意見を効率的に伝えることができる手段なのです。

3 読む

他者を、世界を理解するためには読むという行為が必須です。
読むという行為で大切なことは、独りよがりにならないことです。

近年では「わかりやすい」が尊重されます。
一言で、ばしっと、サルでも分かる!
……そんな事のほうが少数です。

人間はサルではありません。
だからこそ、長々とつづられた文章を読んで、他者の考えや世界について理解する必要があるのです。

読むという行為はとかく迷いやすいものです。
授業では先生が、


「今、主人公はこういう気持ちなんですよ」
「ここの段落は一つ前の段落の補足説明をしているんですよ」


という感じで、旅行のガイドさんのように旗を振りながら説明してくれます。

国語における「読む力」の目標の一つは、文字の大海原を自分で舵取りしながら進めるようになることです。
でも、できればもう一段上のレベルに到達してほしいです。


「読みのアナーキー」を越えて

「テキストは書き手の手を離れた時点で読者のものだ。
 だから、読者はテキストを自分なりに、好き勝手に読んでいい」

この考えを

「読みのアナーキー」= 読みの無法地帯

といいます。
趣味で読む小説や物語なら、それでもいいでしょう。
ですが、自己解釈を絶対とする考え方のままでは、自己の世界から抜け出すことはできません。

なぜ、作者はこの表現を使ったのだろう?
この作品のテーマは何だろう?
テーマを発見したとして、それは本文のどこを根拠としてそう言えるだろうか?


テキストに忠実に、丁寧に、自分の読みを精査すること。

作者はどういう意図をもって、それを書いたのか?
自分の理解とテキストの内容に齟齬がないか?
自分と違う意見の場合、筆者は何を根拠にその主張をするのか?

テキストと自分の考えを行ったり来たりする課程で、自身の考えが絶対ではないこと、他者の考えを尊重する姿勢が身につきます。

読むという行為は一人で行うものだが、その実体はとても賑やかなものだ。


その根拠がここにあります。

読むという行為は、自分ではない誰かに心から寄り添うことなのです。

4 書く

話すという行為が瞬間的なものなのに対し、書いたものは半永久的に残ります。
(録画・録音という手段もありますが、文章のほうが圧倒的に流通コストが低いです)

ことばはデジタルな存在です。
聞く・読むはデジタル信号としてまとめられたことばを翻訳することです。
話す・書くは自分の中にあるまだ形にすらなっていない思いを言葉というデジタル信号に変換することです。

文章はすでにデジタル化されているので、外国語に翻訳することも容易です。
面と向かって話すよりも、より多くの人に伝えることができます。

読者の中には、熱心にこちらの言葉に耳を傾けてくれる人も、そうでない人もいる。
多種多様な人々に分かってもらうためにはどうすればいいか?
ここで培われるのが他者意識です。

書くことは、より多くの人へ意見を伝えることができます。
だからこそ、他者について考え、世界中の人々へ視線を向ける必要があります。
自分ではない他者に対して、どうすれば想いを伝えることができるのか。
その試行錯誤の過程が書くことなのです。


以上、聞く・話す・読む・書く がことばの力の基礎になります。


ここではあと三つ、ことばの力を鍛える上で重要な項目についてまとめます。

長くなったので次回!

 

ことばの力:その他へん

1 漢字・文法・語彙
2 古文・漢文
3 書道(習字)